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笑われることの快感 【KESHIN – ガネーシャ1】 [アート仮装]

心の強化にとても有効だったことがあります。何人かの方は実際にご覧になっている、私のアート仮装プロジェクト「KESHIN」です。

これまでに何度かやってきて、主に色々な国の神様をベースとしたオリジナルのキャラクターになることが多いのですが、これには二つの効用がありました。


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2年半前、象の神様ガネーシャになりました。撮影は、友人の映画監督の佐々木誠さんです。
地面に寝っ転がって撮影してくれたら、横浜の港湾にいたのに、この世のものでない感…!さすがです。



1、笑われることの快感


以前の私は、人と比較され「もっともっと」と現状の自分であることを叱責されて育ったので、失敗することや人に笑われて恥をかくことを極度に恐れていました。

その結果、「人からどう見られるか」が行動の指針となってしまい、それにがんじがらめになって窒息しかけていました。

何かをやってみようと思うことがあっても「きっとみんなから嘲笑される」と思い込んで、一歩も動けなくなっていました。


しかし、ひょんなきっかけからこのKESHINプロジェクトを始めることになり、それが怖くなくなり、むしろ、笑われることを楽しめるようになりました。


このような格好で人前に出ると、最初はドン引きされます。最も恐れていた嘲笑の瞬間です。

しかし、そのうち「馬鹿だなあ!でもいいね!」と大笑いしてくださるようになり、最後には「次は一緒にやらせて!」とこちらの側にきてくださる方が出てきます。


笑われることは全く恐ろしいことではなく、そしてこの姿を見て楽しんでくださる方もいる、ということは私にとって大きな発見でした。

「こんな馬鹿なことを恥じらわず出来るようになるよ」、そう過去の自分に教えてあげたい、と思っています。

しかし、この試みは、全力でやりきらないと中途半端では格好が悪くなってしまうので、とことん馬鹿になりきって完璧にやりきるようにしています。


KESHINがこのような形になったのは、思春期にいたブラジルで、サンバの非日常の「ハレ」パワーに圧倒されたことも大きな原因でした。

壮大なギャグのような巨大な山車の上で、ギラギラ光るものを身にまとって踊り狂う半裸の人々。

その頃は「あんなに振り切れられて羨ましいなあ」としか思えなかったのですが、ようやくそこに近づけたような気がしています。



2、マイナスの思考に囚われていた自分から離れる


お面や道具などをつけ、化粧をすると、完全に自分ではなくなります。

もともと、別人のように変身できる化粧が大好きだったのですが、このKESHINプロジェクトはその全身版でもあります。


KESHIN
のモチーフとしては、既存のキャラクターではなく、神話の登場人物だったり霊的な存在を自分なりに解釈するのですが、それになりきれたときには達成感と不思議な快感に包まれます。

もともと祖母が家で教えていた能を聞いて育ち、霊界と現世を行き来するという感覚が自分の中にあったので、霊的なものを選びがちなのだと思っていますが、なりきっている瞬間は、自分であることを忘れて別の存在になれるのです。


これは、ある意味瞑想のように、「ネガティブな思考に囚われている頭のスイッチを、一旦オフにする」ということにもつながりました。



このように、このKESHINプロジェクトは、私にとってかなりの効用がありました。

人からの評価でがんじがらめになっている子供や大人の「心の解放」にとても効果的なのではないかと思えるので、今後はワークショップなどもやってゆこうと考えています。


次回は、ガネーシャの制作過程をご紹介いたします。



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不幸を張り合うことの不毛さ [アダルトチルドレン]


あなたの不幸は私ほどではない。だからあなたにはそれを言う権利がない。最近立て続けにそう言われました。

以前のブログで、傷の大小は関係なく、傷があるかないかだと書きましたが、それを今回はもう少し掘り下げようと思います。


世の中には、あんな軽い理由でと思われることで命を絶ってしまう人がいる一方で、大変な不幸の連続に遭いながらも生き続けている人がいます。

どちらの方が、より悲惨な境遇なのでしょう。結果的に死んでしまったから前者?明らかに大変な目にあったから後者?

これをジャッジをする資格は、誰にもありません。一つだけ言えるとしたら、両人にとって大変な人生だったというだけです。

時代も、境遇も、心の強度も、前提条件が全て違う中で、不幸の比較なんか出来るわけがありません。誰かの不幸に対抗するためには、より不幸にならなくてはいけませんが、このような競争は全くもってナンセンスです。お互いの傷の深さや大きさを競ったところで、何も生まれません。不毛なことです。

必要なのは、負傷者同士、手を取り合って安全な場所へ退避し、傷を癒し合うことです。

「あなたは酷い目にあったんだね、私も酷い目にあった。お互いよく生き延びたね」そう労い合うことに時間を使った方が、遥かに生産的です。人生の時間は限られています。

結果的に私は死にませんでしたが、死を選ぶか選ばないかは紙切れ一枚くらいの差だと思っています。私も心身が弱っていたらきっと決行していたでしょうが、私は幸か不幸か健康でした。



このように突っ込みどころを与えてしまったのは、私が何をされたのかを書いていないからでしょう。ただ、私が明らかにしたところで、たとえそれがどんなに酷かったとしても、冒頭のように「自分の方が」と考えている方には、きっと何を言っても無駄だとも思っています。


私のしたいことは、これまで何度も書いていますが、親がいかに私を傷つけたか糾弾することではありません。ただ、ここにサバイバーがいるという事実を伝え、十年前の私が知りたかった「絶望の穴からいつかきっと出られるよ」「出るためにこんなことをやってみたよ」と語ることです。

ヒーローになりたいのでも、被害者然として同情を集めたいのでもありません。単なる一事例の提示が、私の目的です。事故現場でも災害現場でも、そこに一人生存者がいるかいないかで、希望は大きく変わってきますから。



アダルトチルドレンとして傷だらけで生き延びてきた者たちにとって、この世の中を生きていくのは大変なことです。確固たる自己肯定感も自信もない脆く不完全な状態のままで、無理解、嘲笑、軽蔑など様々な弾丸が飛んでくる中を進まなければいけません。お互い傷を負った同士が、足を引っ張りあっている場合ではありません。手を取り合って進んでいかねば、生き延びてゆけません。



これからも冒頭のような声は飛んでくるでしょうし、もっと増えてくるかもしれません。また、「大人になったのに、子供時代のことにこだわっているのか」と苦々しく思っている人もいることでしょう。

しかし、アダルトチルドレンとして受けた傷は、正常な人格形成を阻害するため、克服しない限り一生付いて回ります。むしろ、大人になって社会と対峙せざるをえなくなったときに、これに起因する大きな問題が次々に湧いてきます。過去にこだわるのではなく、自分の未来のために、この問題に正面から向き合う必要があるのです。


以前の私のように、生存事例を知りたがっている人が少なからずいらっしゃると感じているので、そういう方に向けて、私はこれからも発信を続けていく所存です。


 



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原因となった母との関係性の変化 [アダルトチルドレン]


私がアダルトチルドレンとなる原因を作ったのは、母です。

しかし、日を追うごとに母は、私に対して気を遣ってくれるようになり、何かがズレてはいるけれど優しい「普通」の親になってきました。この正月に実家に寄って、それを再確認してきました。

この状態になりつつあったこの何年かまでは、肩透かしをくらったようでしばらく困惑していたのですが、今はありがたい幸運なこととして受け入れています。現在はこの関係性に満足し、昔の私の心境を理解してもらおうと期待をして無駄な波風を立てることも辞めたので、おしなべて平和な関係を維持しています。私は母を「赦せる」ようになったともいえます。


私が絶望の穴から出られた最も大きな原因の一つは、こうして親との関係が大きく変わったことなのは紛れもない事実ですので、今回は、以前の記事よりもう少し具体的に、一事例としてこれまでの経緯を書いておこうとおもいます。



(ちなみに、これまで母にされたことの詳細を書いていないため、最近「あなたの傷は大したことがない」とある人に断定されてしまいました。しかし私が長い間苦しんだのは事実ですし、以前書いたように、人と傷の深さを競い会うのは限りなく不毛なことだと思っています。この件については、また別の機会にもう少し突っ込んで書こうと思っています)



アマゾネスのような激しい気性の女系家族に育った母のキャラクターは、だいぶ変わっていると思います。また、距離感の取り方も何かおかしく、昔は、近くにいると境界線を踏み倒して徹底的に支配しようとする傾向がありました。しかし逆に距離があくと、驚くほどドライに興味の範囲外となるようなのです。


私は就職して間も無く、両親の反対を押し切って家を出ました。まずこれが、関係性変化の第一段階となりました。

しかし物理的に距離をとってひとときの心の平安を手に入れたものの、私自身もまだ母との心の距離をうまくとれず、時々攻撃を受けては深手を負っていました。まだ私にとっての母は、「怒らせると私を破壊する恐ろしい存在」でした。


そして29歳のときに、私は結婚をしました。これが2段階です。

実家から戸籍上も出たにも関わらず、母から見れば名前が変わって住むところが変わったぐらいの認識だったようで、私は相変わらず支配下に置かれていました。しかし、あるとき義実家に迷惑をかけてしまったこともあり、私は勇気を振り絞って母に手紙で思いを綴ることにしました。「自分は別の家庭に入った人間であること、母を排除する訳ではないが、別の人生を歩んでいることをわかってほしい」、と。


こう書いたものの、これまでがこれまでだけに、わかってもらえるとは正直露ほど期待していませんでした。逆に「何を言っているの!」と反撃されることを、私は極度に恐れていました。しかし、今回ばかりは違ったのです。


これ以降、母は人が変わったように私を尊重してくれるようになりました。また、それまでは私の都合などおかまいなしに大量に架かってきていた電話もパタリと止み、架けてきた時には「今大丈夫?」と必ず確認をしてくれるようになりました。さらに、色々なことを気にかけて、サポートもしてくれるようになりました。


そしてこの頃から、私は拒否権を行使することができるようになり、母はもはや私にとって恐ろしい存在ではなくなりました。

この二つの段階を踏んで、私は母の支配下から抜け、対等の地位を獲得したと考えているのですが、正直なところ、何が母に作用したのかはわかりません。ただ、20年ほどかけて関係性は完全に望ましい方へ変化したのは確かです。



ただ時々、この状態に私は困惑します。現在の母をみていると、私が自殺を考えるほどに受けた悲惨な日々は、知人に言われたように、私の勘違いだったのではないかと。そうすると、この遠回りした20年を私は無駄に大騒ぎして過ごしてしまったのではないかと、絶望的な気持ちにもなります。


しかし、冷静に過去の記憶を辿ると、決してそうではありませんでした。母の人間性と関係性が大きく変わっただけで、実際には確かにありました。忘却の力は、トラウマを癒してくれる有難いものですが、錯覚も起こしてくれます。


こう堂々巡りをしないためにも、もしかしたらあのまま憎む対象で居続けてくれた方が、いっそのこと気が楽だったのにと思ったりもしますが、本来こうして親子関係が改善するのは歓迎すべきことです。なので最近は、昔の母とは別の人間なのだと思うことにしています。今の母には憎しみはありませんし、むしろ愛情を感じています。



最近、ある披露宴に出たのですが、最後の新婦の「母への手紙」のコーナーで、驚くとともにその勇気に敬服したという出来事がありました。新婦は、その明るくポジティブな人柄で皆から愛されている人だったのですが、両親の事情によって人生を翻弄され大変な苦労をしてきていました。私は「自分が彼女だったら親に感謝の念なんて述べられないなあ」とぼんやり考えていたのですが、彼女は、


あなたたちから生まれきてよかったとは、思っていません。でも、お母さんが大好きです。」と。


この衝撃的な一言で会場はどよめきました。しかし、彼女の母親に対する、矛盾を乗り越えた迷いのないこの言葉に、私は「こういう受け止め方も出来るんだ」と衝撃を受けました。



昔の、憎しみにまみれ地獄のど真ん中にいた私だったら、こんな風に親を赦せる日が来るなんて想像も出来ませんでした。親との関係に苦しんでいる方、苦しんでいた方に、今回の投稿が何かの参考になったらいいなと思っています。


 



タグ: 関係性
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祝2018年!そして麻雀訓 [アダルトチルドレン]


あけましておめでとうございます。


大晦日には「新しい一年は、あんなことこんなことが簡単に出来てしまう気がする!」と万能感に包まれていた私ですが、明けてみると、新鮮ながらも同じ日々が続いていて、やはり気合いを入れて頑張ってゆかねばと己を奮い立たせている私です。




毎年正月は、キリストダンナの実家での麻雀大会から始まります。義両親、義兄夫婦、そして私たち夫婦でメンバー交代しながら二日間の真剣勝負。気のおけない愉快な義家族ですが、この勝負中は大笑いしながらも、お互い容赦なく叩きのめします。極度の負けず嫌いな私も、もちろんこの勝負に一切遠慮はしません。

ドンジャラで遊んでいたことがあるので、麻雀の最低限のルールは知ってはいたものの、本格的に覚えたのは結婚してから。そこそこ強いと自負している私ですが、一年にこの時期しか麻雀をやらないので、全ての役も点数の計算方法もなかなか覚えられません。


それでも覚えれば覚えるほど、運と実力のバランスなど、「うーん人生訓なり」と思えることが増えてきました。


・はじめの条件が悲惨でも、ぽんぽんとうまくいって勝ってしまうことがあること。逆にはじめが良くても、それ以上伸びないことがあること

・全くダメだと思っていても、よく見て組み合わせを変えたらとてもよい状態だったということ(私の不注意も要因ですが)

・自分の中でだけ考えて結論を出すのでなく、大局を見極めて流れに身を任せることも必要なこと

・どうにもならない状態だったら、無理に勝負をせず嵐をやり過ごすこと。また、思い切って勝負を降りる勇気も必要だということ。 


そして最も心にぐっときたのは、知人の言葉でした。彼は、これまでに何度も何度も観た麻雀番組を更にスローモーションで観ては、「なんと美しい手だ!」と恍惚としているという、究極の麻雀ラバーです。

その人曰く、「麻雀で大事なのは、振り込まないこと」と。欲を出して華麗な手で一度は大勝ちしても、その後の小さなうっかりミスで大敗することもある。一局一局は地味な動きでも、トータルにみたときに実は勝っている、というのが実は本当の強さでもある、と。

確かに、その人と一緒に麻雀をしている人も「彼はいつもすごく地味にやってる印象しかないんだけど、最後に合計するといつも勝ってるんだよね」と感心していました。


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最初にこの状態だったのですが、みなさんだったら国士無双を狙いますか…?


もちろん実生活では、振り込むこと=失敗することは、経験値を上げるためにはとても大事です。恐れて何もやらないよりは遥かにましです。でも失敗以前に、いつも焦って結果をすぐに出そうといきなり大きなところを狙いに行って空回りがちな私には、痛いところを突かれる言葉でした。


まだ始まって三日目の今年2018年。一歩一歩踏みしめて地道に進んでいこうと思いますので、みなさま、本年もどうぞよろしくお願いいたします。



タグ:2018 麻雀
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