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人脈の「作り方」を古川享コーチに教わる [ADHD]

先日のお誕生パーティでコミュ障を発揮してズタボロになって帰った私をみかねて、一昨日、

パーティの中でスイスイ泳げるようになるためのスイミングコーチ役を」と、

古川享さんが素敵な場所に連れて行って下さいました。本当にありがたすぎます…泣


「昼スナ」という都会のオアシス

連れて行っていただいたのは、麻布十番にあるBarを木曜の昼から夕方まで借り切って開かれる、「昼スナ ひきだし」。

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カウンターに座れるのは、12人のみ。ぎゅっと濃密な中で、肩書きも取り払って腹を割って語り合う、そんな都会の心のオアシスでした。

この日のママの木下紫乃さんは、このスナックの企画運営はもちろん、会社を立ち上げられて色々な企業のマネジメントトレーニングなどもやっていらっしゃる超エネルギッシュな方。

世の中の色々なものに絡め取られている人を解放したい!と熱く語られていて、もう全面的に私は共感してしまいました。

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最後の1時間はママサポートを。グラス洗うくらいしかお役に立てなかったのですが楽しかった…!


人間関係の構築ができない

私は、どちらかと言うとフレンドリーな印象を持たれることが多く、人間関係の構築が苦手と言うと、「またまたー」と言われがちです。

でも変に気を遣いすぎて帰宅して倒れ込んでしまうこともしばしば。基本的に一人でいるのが好きな人間です。


そしてADHDとアダルトチルドレンの結果ですが、人との適切な距離感もわかりません。話しすぎて引かれてしまうことも多々。

一対一はまだ良くても、人数が増えると、どう他の方と時間を配分してよいのか、どこまで深く踏み込んでよいのか途端にわからなくなり、もうお手上げです。

そんな私が、大人数のパーティに行った日には、名刺を沢山交換してそこそこお話をさせていただいてもそれっきり、ということがほとんどで、人脈づくりという言葉には苦手意識しかありませんでした。


古川さんはあまり語られない

でも、昼スナでの古川さんを見ていて、気がついたことがありました。

ガジェッターの古川さんはスピーカーを持参されていたのですが、その場を楽しませるために常にタブレットで選曲をされていて、そんなに多くは話されていないのです。

たしかにお誕生会でも、一人で端に腰掛けて、楽しんでいるみなさんを静かに眺めてらっしゃる時間が多くありました。

でも、それでも有名無名関わらず、みなさんが古川さんを慕って全国から集まってこられるのです。

もちろんこれまで築かれてきた並外れたご実績があるわけですが、それだけでは語れない空気がありました。


人脈は作るものではなさそう

たぶんそれは言葉にしなくとも古川さんから発せられている、周りをエンパワーしたいという温かい想いを、周りの人が自然にキャッチしているからだと思うのです。

昼スナに同席された方の中にも、私と同じく古川さんがお誘いされていらした方がいました。

昼スナ終了後、古川さんはすぐ別のイベントに行かれていましたが、そこにも沢山の同じような方がいらっしゃったはずです。

超多忙な毎日の中で、いったい古川さんはどれだけ多くの、自信を失ったり人生に迷子になっている人たちをエンパワーされていらっしゃるのか。

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すごい方なのに、ときどき少年のようにひょうきんになられるところに、密かに萌えます。



話術を駆使して人と繋がるというよりも、生き様が人を惹きつけ繋がっていく。


人脈とは、その場で「作るもの」ではなく、時間をかけた積み重ねで「出来上がっていくもの」なのかもしれないと、振り返っているうちに気がつきました。


人脈づくりには色々なスタイルがあるのだと思いますが、古川さんはADHDの先輩として、こんなスタイルがあるよと示してくださったのだと思いました。


たとえ壁の花になっても

私は、これから、


たくさんの人と知り合うのでなく、数は少なくとも、がっちりと心が結びつけられるような地道な人脈づくりをしていこう。


興味を持ってあちらから来ていただけるように、細々ながら発信をこれからも続けよう。


たとえパーティでは壁の花になったとしても、それを恥じない自分でいよう。


パーティをスイスイと泳ぐ日はなかなか来なそうですが、端っこのレーンをヨロヨロと歩きながら仲間を探していこうと思います。


ズタボロになってよかった

でも、この何日かでの気づきとこの素敵な出来事は、キリストダンナと一緒に古川さんのパーティに行っていたら得られなかったことでした。

きっと一緒だったら、なんとなくみなさまと会話して、帰宅して、という感じだったことでしょう。

でも一人で行ってズタボロになったからこそ、古川さんにコーチングをしていただき、大きな気づきが得られました。


古川さんはきっと、自分のパーティで凹んで帰った人間がいたことに、責任を感じられてしまったのだと思います。

本当に申し訳ない思いですが、結果的に私はこんな素敵な経験をさせていただき、感謝しかありません。

だからこそ、私もこれから、いただいたエンパワメントの波を微力ながら繋げていこうと思います。


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こんな名札を、先日のお誕生パーティ用に夜を徹して作られていたのです。参加者150人以上の全員分…!
残念ながら当日はPCアプリの不具合で簡易版になってしまったのですが、昼スナの日にいただいたので、喜んでずっとこれをつけておりました。



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薬をやめました。 [ADHD]

ADHDと診断されてから、何がどう改善するのか知りたくて2ヶ月半ほど薬を飲みましたが、あまり効果が感じられず、体の不調ばかりが続くので、先日やめました。

私が飲んでいたのは「ストラテラ」という薬。ぎょっとする青さです。
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飲みきれなかった最後の一錠。記念にとっておこう。

もともと次に「コンサータ」という、より覚醒度合いの強い薬に変える予定だったのですが、そもそも普段から薬を飲むのが気分的にも物理的にも(むせる!)超苦手な人間で、お医者さんからも「日常生活で困っていることがなければ薬は必要ない」と言われてもいたため、これを機にやめることにしました。

薬のよかった点、よくなかった点

人によって薬を飲んだときの反応は様々なようで、劇的に改善した!という人も多くいるようですが、残念ながら私にはあいませんでした。

私も服用前にはネットでいろいろな人の体験記を読んで参考にしたので、自分の場合ということで残しておこうと思います。

・よかった点
目覚めが良くなった。
体が少し軽くなったように感じ、動きやすくなった

・よくなかった点
お通じが最悪になり、肌が荒れた
常に吐き気を感じる
生理不順になった
集中力改善には変化なし
薬価が高い!(診療費と合わせると毎月1万円ほど)

特に目覚めの良さは素晴らしいものがありました。服用前は、起きても午後まで頭にもやがかかったようにぼんやりしていたのが、服用中は、いったん目が醒めると朝からシャキッと活動できるように。

しかしそれをさっぴいても、高いお金を払って体の不調を買っているという感覚が抜けませんでした。

薬をやめてからお通じがてきめんに回復したものの、異常なほどの体のダルさが戻ったり、朝がまったく起きられなくなりましたが、残念ながらこれが本来の私。

この状態を受け入れ、できる範囲でやっていこうという、あきらめという名の覚悟も固まりました。

基本的に自分で体験してみないと納得できない頑固な性分なので、「飲んだ方がいいのかも」という選択肢を残すことでもやもやすることも無くなったのは、成果なのかもしれません。


集中力を思い出させてくれた30年ぶりのピアノ

私が薬を飲むことで一番欲しかったのは、「集中力」でした。しかし、予想外のところで自分の中に眠っていた集中力を感じる出来事がありました。

ピアノです。

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キリストダンナがピアノ弾きなので、電子ピアノが家にあります

先日アンソニー・ホプキンスの狂気的な動画が話題になっていましたが、彼が過去の投稿で「ラプソディ・イン・ブルー」を気持ち良さそうにポロポロと弾いているのをみて、

「かっこいい!私も弾けるようになりたい!」と突然思い立ち、キリスト旦那用の電子ピアノに向かってみました。

さすがに最初から「ラプソディ~」は無謀すぎるので、まずはサティの「グノシエンヌ」を。楽譜はないので、耳を頼りにYoutubeで色々な動画を見ながら弾いてみると(便利な世の中になりました)、三日で弾けるようになりました。

ピアノは幼稚園から小学校低学年まで習っていたのですが、母のあまりの超スパルタ指導ですっかり大嫌いになり、聴くのはよくても自分とは縁がないものと長年決めつけてきましたが、体の方は基礎を覚えていたようです。

しかも、どんどん指が動くなるようになるのが嬉しくて、気がついたら4時間ほど夢中で弾いた日も。

こんなに没入したのは本当に久しぶりでした。


集中できる対象に選ばれること

集中力がないと思っていたのは、集中力が私にないのではなく、対象に集中できないからで、集中力が続く続かないという問題は、興味の対象に自分が選ばれるかということなのかもしれません。

集中できないものは、やはり「楽しい!」と思えませんし、対象に選んでもらえていない時点で、私が集中する必要はない。集中できるものだけに時間を費やした方が、人生は楽しいし有意義です。


「集中しなければ」と、頭でどうにかしようと思っていたこと自体が誤りでした。


薬で集中力を人工的に作り出そう!と試みた2ヶ月半でしたが、体に薬を拒否されてしまったので、これからは思考を逆に切り替えて、集中できるものだけにフォーカスしていこうと思います。

これもなにもしない「shouldを脱いでいく」ということにつながっていくことなのかもしれません。

いつもこれを忘れて勝手に作り出した義務感に縛られてしまう私ですが、流れに身をまかせていく、これが私なりのハッピーのあり方のようです。


相性が悪かった薬ですが、結果的にはこんな大事なことを再確認させてくれました。

ありがとう、ストラテラ。さようなら、ストラテラ。



グノシエンヌといえばこれ↓  美しい…



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根性が無いんじゃ、怠けているわけじゃ、ないんです [ADHD]


これまで駄目人間だと自分を責める原因になったもののほとんどが、ADHDに起因するものだったのだと、診断を受けてからつくづく実感しています。

最近、自分もADHDではないかと感じていたという知人たちと話していて、「それ私も全く同じ!自分の努力が足りないんじゃなかったんだ…ほんと辛いよね」と、私も相手もほっとするということが続きました。

いわゆる「普通の生活」をしようとしても出来ず、「根性が無い」「努力が足りない」「怠けてる」と叱責される原因になりがちな特性について、今回は書いておこうと思います。


私の困った症状たち

(あくまでも私の症状ですが、調べてみるとほとんど典型的と言われるものでした)


・日中に眠くてたまらない

・集中力が続かないので、作業を継続してやったり完成させることができない

・物事と物事が常識的でない関係性で結びついて、勝手なオリジナル解釈をしてしまう(天然と言われる所以)

・順序立てて話すのが出来ないため、あれもこれも伝えないと焦り、結果的に話しすぎる

・人の顔と名前が何回も会わないと覚えられない

・体力の限度を超えて動いてしまい、後でグッタリして寝込む

・興味の対象がすぐに切り替わるので、色々なことについて忘れっぽい

・常に体のどこが動いていないと落ち着かないので、貧乏ゆすりする

・順序立てや組み合わせを考えられず料理が出来ない

・文章を前から順を追って読むのが苦痛

・表情や風景や細部に気を取られて、映画のストーリーを追えない

・小説の登場人物の名前と関係性がなかなか頭に入らない



■日中の眠気の深刻さ


日中眠い→寝てしまう→やらなくてはいけないことが出来ない→自己嫌悪


集中力が続かないことも大きな悩みの種ではありましたが、このように日常生活の一番の妨げになったのは日中の眠気です。夜間に寝ている間も脳が多動状態で、熟睡できないことが原因のようなのですが、睡眠障害と思うほどかなり辛いものがあります。

高校時代も大学時代も、長時間先生の話を座っておとなしく聞くということが出来ず、かなりの授業を寝て過ごしました。呆れた先生に教卓の真ん前に席を移されたこともありましたが、それでも睡魔には勝てず突っ伏して熟睡し、クラスの文集の「一番寝る人」部門ランキングでは、私がいつも1位という状態でした。

前日にたっぷり睡眠をとり、朝方生活に変える!と意気込んでみたこともありましたが、結局日中は眠すぎて何も出来ずすぐに昼夜逆転の夜型サイクルに戻り、睡眠時間だけが増えるということもしょっちゅうでした。

最近は薬を飲み始めてから少し改善されたかなと思ったものの、またこの日中の眠気がぶり返してきて、どうしたものかと考えております。


自分なりの対処方法を見付けていくことが大事

こんな感じで、私自身日々この困ったAHDHの症状の対処方法を模索している最中ですが、以前はみんなと同じようにやっては「なんで自分には出来ないんだろう」と落ち込んでいたのが、診断を受けてからは「そもそも良くも悪くも普通の人とは違うのだから、自分のやり方をみつけよう」と思えるようになったことは大きな前進でした。


最後に…

私と同じくADHDの方
、「努力が足りない」と自分を責めないで。むしろADHDが強みとなるように、自分なりの対処方法を見つけられるように、一緒にがんばりましょうー!

ADHDではない方、私たちは根性が無いのでも怠けているのはなく、脳の作りの問題なのです。努力が足りないと責めないでいただけたら幸いです。


タグ:ADHD
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ADHDでした! [ADHD]

昨日精神科で、ADHDであるとの診断を受けました。色々な項目が当てはまり、どう考えてもそうですねえと。


…心の底から安堵しました。


ここ何年か、ADHDの記事を読むたび、見事に当て嵌まるなあと思いながら、そう特定されることを恐れる気持ちもあり、なかなか病院に足が向きませんでした。でも、こんな楽になれるんだったら、もっと前に受診してもよかったな。


努力が足りなかったのではなかった

小さい頃から、人と同じことをやろうとしても出来ず、笑われたり、ふざけていると怒られたり、その度に、自分の努力が足りないんだと落ち込んできました。

でも、これらは努力の問題ではありませんでした。努力ではどうにもならない脳の問題でした。

もう自分を責めなくていいという免罪符を得て、むしろ、このポンコツ状態でよくここまでやってきたなあと、我ながら労ってあげたい気持ちです。よくやった私。


喫緊で困っていることがないなら治療の必要はないと医者からは言われたのですが、人並みの集中力がどういうものかは知りたいと思ったので、とりあえず服薬は始めてみることにしました。

でも今となっては、ADHDだから出来たこと、そこから生まれた資質もあると思えるようになっているので、違和感を感じたらすぐにやめようと思っています。


ACもADHDも全然オープンにしちゃいます!


アダルトチルドレン(AC)とADHD。前者は環境からくる精神的な問題、後者は脳の問題で、性質は違えど両者には密接な関係があるので、診断を聞いて、やっぱり出揃ったなという感じがありました。

でも、アダルトチルドレンもADHDも、別に隠すべきものでも、恥ずべきものでもありません。明るく話せる世の中になったらいいなと思いますし、両者で生きづらさを抱えて生きている人に、私を見て「あんなオープンなやつがいるのね」と少しでも気楽になってもらえたら嬉しいなと考えています。


ちなみに、昨年、アダルトチルドレンであると外に出そうと決めたとき、作品や活動が色眼鏡で見られて損することがあるかもよ、と心配してくれた人もいました。確かにその面はあるかもしれません。

でも、アダルトチルドレンもADHDも紛れもなく私の性質の一部です。苦労させられながらも、40年間一緒に生きてきました。なので、私はこれからは、それらを全部ひっくるめた「澤奈緒という生き方」で表現をしていきたい、と考えてます。そしてそれが、昔の私のように苦しんでいる誰かを励ませるのなら、これ以上嬉しいことはありません。


ただ、そうは言っても、キリストダンナにその診断結果を告げる時には、「そんな嫁いらない」と言われたらどうしようと少しは緊張しました。ところが、彼の答えは「へー、わかってよかったじゃん!」とあっさりしたもの。「ブログに書いたら、仕事の立場上困らない?」とも聞いたら「全然問題ないから書きなよ、書きなよ」とまで。

確かに私が彼の立場でも、もう10年一緒に暮らして性格もほとんどわかっているので、今更そう診断されたからと言って、突然見知らぬ人格が出てくるでもなし、「ふーんその傾向に名前があったんだね」くらいの反応だとは思います。


それにしても、前回の記事のように、このキリストダンナをはじめ、ありのままのこのポンコツな私を受容してくださる方が現在は周りに大勢いらっしゃるので、本当に有難いと、しみじみこの幸せを噛み締めております。

頓珍漢な努力と空回りはこれからもきっと続くとは思いますが、それでも前回の気づきのように「このままの澤奈緒」を大事に生きていこうと思いますので、どうぞみなさまお付き合いいただけましたら幸いです。


最後にもう一度、自分に言い聞かせるためにも…


あなたはあなたのままでいい!

It's OK to be who you are! 

もしくは、

Just The Way You Are!(byブルーノマーズ!奥田浩美さんにいただいたFBコメントより)



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脳内埃とノイズキャンセリング瞑想 [ADHD]


今日はいよいよ大晦日。日を跨いでも、環境が激変するわけでもなく、体の組成が変わるわけでも無く、いつも通り次の日がくるというだけのことですが、新しい年を迎えるというのはやはり格別のフレッシュさがあります。


毎年、年末はバタバタと過ごしほとんど大掃除もしないまま新年を迎えていましたが、今年は半ば強制的に引きこもり、やり残したことを集中的に片付けました。凄まじくとっ散らかっていた部屋の片付けと断捨離もしたら、ようやく頭と心がクリアになってほっとしています。



私には、頭の中にいつも言葉や思考の埃がたくさん飛んでいる感覚があります。何事にも集中力が持続できないのはそのせいもあるのですが、部屋が散らかっていると頭の中まで散らかってくるので、私は身の周りの片付けを常にエンドレスでしています。

そして困ったことに、こうした埃は、「面倒臭いからやめようよ」「こんなこと無駄」「何やってもお前はだめだね」「他のことをやろうよ」と好き勝手な声を発して私の集中力を崩し、自信を根こそぎ引っこ抜いていくのです。

たぶん、もともとの私の脳の構造と、育った環境の両方が原因だと思うのですが、ネガティブなものが多い、絶え間なく続くこの雑音には耐え難いものがあり、私は長い間苦しみました。



この五月蝿い雑音をなんとしても消すべく、ヨガ、瞑想についての本のリサーチ、お寺での坐禅、上座仏教の瞑想、マインドフルネス、モーニングページ幻覚茶など、これまで色々試してきたのですが、結果として、どれも効果的で私の心と頭をかなりクリアにしてくれても、座っているとすぐに寝てしまうし、体を痛めたり、なんとなく違和感があったりして、それぞれの方法論に継続して完全に自分をフィットさせることはできませんでした。

瞑想自体は素晴らしい解決法と思えたのですが、頭の埃を一掃してすっきり綺麗にしたくても、私には埃を落ち着かせて地面に着地させることくらいしか出来ない。しかも着地させても、またすぐに埃は舞い上がってしまう。



段々そうわかってきた私は、考えた挙句、それぞれの自分に合うところを寄せ集めた、2種類のハイブリッド瞑想に行き着きました。埃を完全に黙らせることはできないならば、一時的に別のところに吸着させて、雑音を雑音で消してしまおうという、名付けて「ノイズキャンセリング瞑想」です。

具体的には、「散歩瞑想」と「YouTube瞑想」というもので、名前なんてつけてみましたが、みなさんが普段、普通にしているなんてことないものです。



散歩瞑想は、1時間好きな音楽を聴きながら、一歩一歩意識して歩くこと。もともと歩くのが好きで夜の散歩を日課にしていたので、そこに「歩く瞑想」をくっつけました。最初の30分は、埃が好き勝手頭の中を暴れまわっていますが、不思議なことに30分を超えたあたりから、地面に落下し始めて、頭の中がしんと静まってくるのです。こうなると、何かよいアイデアや解決策を思いつけるようになるので、私は行き詰まった時に散歩瞑想に出るようにしています。



そして、作品を制作するときには、その名の通り、好きなYouTubeを聞き、深めの呼吸をしながら行う「YouTube瞑想」です。この瞑想に向いているのは、目を使わず聞くだけでよく、そこそこ頭を使う面白い内容で、探す手間がはぶけるシリーズもの。私のお気に入りは、マイケル・サンデル教授のご存知「白熱教室」や、夏目漱石や池波正太郎の著作の朗読、ラジオ番組の録音など。こちらの内容に、私の頭の中の五月蝿い埃たちが引きつけられている間に、頭と心を「無」に近い状態にして作業をするのです。



読み返して、我ながらなんてことがなさすぎる方法だなと呆れながらも、最近この方法を確立してから、私の頭の中はだいぶ扱いやすくなってきました。頭の中に声がとっ散らかっていて黙らせたいと思ってる方がいらっしゃったら、こんな方法はいかがでしょうか。


ということで、あと何時間かの2017年の最終日、心をクリアに穏やかにして平和に新年を迎えたいと思います。


皆様、よいお年を。今年一年、本当にありがとうございました。



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