ラッパー神主さんに連れられキリストとモスクに行く [出会い]
麻布の奥に佇むモスクの正式名は、「アラブ イスラーム学院」。サウジアラビア王国大使館附属のモスクです。
礼拝が始まる時間が近づくと、大使館が密集しているエリアにあるため、あらゆる国の大使館関係者が次々に黒塗りの車で乗り付け、モスク前の狭い道が青いナンバープレート車で大渋滞。
そして、そこに一際にぎやかに現れたのは、かのボビー・オロゴン氏とご母堂でした。
嫁と勘違いされる事案が発生…!
なぜか成り行きで、同じく初めてこのモスクに来たらしいオロゴン母と、二人で迷いながら女性用の礼拝室へ向かうことになった私。
陽気なイメージのボビー氏と違い、物静かで威厳のあるオロゴン母は時折微笑みを向けてくれるも、言葉が全く通じないのでほとんど無言で進みます。
モスク2階の細長い礼拝室には10人ほどの女性が静かに座っていたのですが、日本人は私だけ。「何しにきたのかしら」という怪訝な視線もちらほらと。
礼拝のルールが全くわからないため近くの女性に訊ねるも、アラブの言葉を話されている方ばかりで英語が全く通じず。
軽い気持ちで見学しに来たものの、とんでもないところに来てしまったと急に心細くなり、小さくなっておりました。
しかし、そのうち少し前方に座っていたオロゴン母がおもむろに振り返ると、バッグから綺麗な水色のヒジャブを取り出し私に手渡してくれました。
被り方がわからず、ずり落ちるそのヒジャブを必死に両手で押さえながら、見よう見まねで他の人の仕草を真似ていたら、次第に周りの女性たちも私を受け入れてくれるような空気になり、1時間弱の礼拝の終盤には優しいおばあさまにハグをしてもらえるまでになりました。
ほんのりと心があったまってきた頃、無事に礼拝が終了。
「モスクを出るまでヒジャブをそのまま被っていなさい」と手振りで伝えてくれたオロゴン母にしたがって横におとなしく立っていたところ、インドネシア人のスタッフの女性がどこからかやってきて、私たちを礼拝堂の外までエスコートしてくれました。
しかし、ボビー氏がオロゴン母を車で迎えにくると、なぜか私まで車に乗せようとするスタッフの女性。
私が「ノーノー!中にいるダンナを待たないと」と言うと、しばらく目を丸くして固まった後、大笑い。
「あなた、ボビーさんの奥さんだと思ってた!」
とのこと。なんてこった。
どうやら、オロゴン母もスタッフの彼女も私も、まともに意思疎通ができる共通言語がなかったので、それぞれの解釈で行動していたよう。
勘違いは日常茶飯事の私ですが、このオチは想像していませんでしたよ…!
まあ実は私は私で、オロゴン母をボビー氏の奥さんだと最後まで思い込んでいたので、どっちもどっちですが。
しかし、まさかこんな勘違い事案が勃発していたなんて、当のボビー氏は想像すらしていないことでしょう。
一番左が本物の私のダンナ、通称キリスト。中央が、ラッパー神主のシシドさん、背広版。一番右が、カトリックからイスラムに改宗されたぶっとんだ司祭のような方、ラマダン中でした。
イスラム文化へ俄然興味が
しかし、モスクのスタッフさんの皆さんは、良い意味でとてもお節介の方ばかりで、あれやこれやと教えてくれて、すっかりイスラム教に親近感を感じました。
聞けば、「イスラム教は、来た人は誰でも受け入れる寛容な宗教」とのこと。
ISなどの一部の過激なグループのせいでイスラム教全体が色眼鏡で見られがちですが、あのような排他的な考えは特殊で、本来は他宗教の人間をも寛容する、包容力にあふれた宗教だというのです。
実は最近、昨年マレーシアに行ってイスラム教に触れたり、シンガポールでイラン人の友人が出来たり、イスラム教に身近に触れることが増え、イスラム文化への関心がとても高まっていました。
マレーシアでは滞在したホテルの近くにモスクがあったため、日の出とともに大音量で流れる礼拝への呼びかけの歌に起こされて毎日寝不足になっていたのですが、それでも1日5回流れてくるその声に不思議と心が洗われていました。
世の中をよりフラットで見られるようになるためにも、自分の価値観の幅を広げたい、ひっくりかえしたいと常々思っているのですが、これからは今まで触れていなかったイスラムの世界にもう少し触れていってみようと考えています。
それにしても、新しい技術をどんどん取り入れて進化し続けるイスラム教。完全に暗記している人は世界でもとても少ないという分厚いコーランが、なんと「Quran Explorer」という携帯アプリになっていました。
コーラン界の大スターの生歌も再生でき、英語での対訳や、索引検索も完備。今や若い方には、これがスタンダードなようです。おそるべき合理性。学ぶところが多そうです。
ノマドなラッパー神主
ちなみに、今回私たちをモスクへアテンドくださったのは、ラッパーでノマド神主のシシドヒロユキさん。
15歳でラップにめざめ→SFC→博報堂→國學院→神主という超変わり種。言葉に一家言を持つ彼が「大和言葉」にフォーカスした『シン・ヤマトコトバ学』も、ただいま発売中です。
現在は古式ゆかしいイメージの神社も、もともとは当時最先端だった唐の文化を柔軟にリミックスして取り入れて発展してきたイケてる存在だったそうで、その精神を取り戻すため、シシドさんは次々と新しい試みを仕掛けられています。クラブイベントでも祝詞をラップし、踊ります。
どこかでお見かけしたら、ぜひお話を聞いてみてくださいね。
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