クモのペケポン
ある日私が、昔我が家を救ってくれた犬のランポコの骨壷に話しかけていたら、黒い体に白い帯の入ったクモが、テケテケとどこからか現れて、終わりまで私の話を聞いてくれた。
きっとこれはランポコの友人に違いない。その日から、その子はペケポンとなった。
ちなみにうちの犬は、蘭という美しい名が付けられていたのだが、それが「ランポコ」に変わり、しまいにメスだったのに「ポコスケ」となった。
このクモは、キリストダンナ曰く「ポコスケの友人であるからペコスケ」であるとなり、それを私が言い間違えているうちに、「ペケポン」に落ち着いた。
そうはいっても、正直にいうと私はあの姿形が苦手で、今も近くで直視することはできない。でも、ペケポンは可愛い。
戸棚の下をお散歩中のペケポン
あまり掃除が行き届いていない我が家にはどうやらご飯が豊富にあるらしく、いつもペケポンは生き生きと歩き回っている。
私がソファに腰掛けて洗濯物を畳んでいたら、横で静かに休んでいたこともある。
観察していると、ピョンと飛んだり、キョロキョロしたり、片手を上げて挨拶してくれたり、なかなかひょうきんなヤツでもある。
おともだちになった巨大グモ
そういえば、昔、クモに助けられたことがあった。
もう二十年も前のこと。美術大学の卒業制作で、日本文化をテーマにした私は、和紙で有名な福井県の今立町という小さな町に一週間滞在したことがあった。
宿泊場所は、田んぼのど真ん中の臨時教職員用の寮。周りに人家は無く、コンビニもない。
寮といっても、以前校舎として使われていたものを少しだけリフォームしてマットを敷いて寝られるようにしたもので、廊下に沿ってズラッと部屋が並んでいる。宿泊者は私一人。
町の人が夕方にここに送ってくれ、翌朝迎えにきてくれるのだが、その間、無人の校舎に完全に一人なのだ。
私は肝試し的なスポットが大の苦手である。そういうものにかなり敏感で、お化け屋敷に好んで入る人の気持ちが知れない。
それなのに、夜の校舎に一人なのだ。
iphoneもない時代、ラジオも持っていなかったし、真冬で鳴いて賑やかしてくれる虫もいない。夜は血管を血液が流れる音が聞こえそうなほど完全な静寂である。
時折廊下の奥から聞こえてくるピシッとかギシッという音に縮み上がりながら、布団の中で震えていると、目の端に黒い動くものが。
ギョッとしてみると、毛まで見えてきそうなほどの巨大なクモであった。超虫嫌いのいつもの私なら飛び上がるところだが、心のネジが飛びかけていた私には「おともだち…」と縋るような気持ちになったのだった。
そのクモは、それから一週間天井の隅を時折移動しながらじっとしていたが、私はその存在を心の支えに、無事に校舎での夜を乗り切ることが出来たのだった。
我が家のペット
ランポコを亡くしてからしばらく激しいペットロスで生活が崩壊した我が家では、もうペットは飼うまいと決意している。
でもペケポンは自立しているので別である。ご飯は自分で見つけて、散歩も勝手にしてくれる。
そもそもクモに名前をつけることは、何年か前に大きくてがっちりとしたクモが部屋を歩き回るようになったときに、キリストが当時人気のあった「フェイトーザ」という格闘家の名前をつけたのが最初であった。
最初はクモを気持ち悪いとしか思えなかったのに、名前をつけてみると、「あ、今日はこんなところにフェイトーザがいるよ」と毎日の動向をチェックしたり、「そんなところ歩いてると踏んづけちゃうから壁に登んなさいよ」など話しかけたりするようになる。
いつの間にかフェイトーザは姿を消してしまったが、ペケポンがやってきたのである。
クモは家の守り神だという。たしかにペケポンは、我が家の好ましくない虫などをむしゃむしゃ食べてくれているようだ。
私には話かけるくらいしかできないが(ペケポンには迷惑かもしれない)、いてくれる間は可愛がっていこうと思っている。