それとこれとは別問題 [アダルトチルドレン]
胸を張って自分の姿に正直に生きていくことと、
周りが理解してくれるかどうかは、別問題。
親でも友達でも先生でも、
自分の全てを理解してもらうのは難しい。
例えば私の場合は、わだかまりが消えたとは言え、アダルトチルドレンであることやADHDであることを、親に伝えるつもりはありません。
精神科や心療内科に行くことや発達障害について、理解してもらえるとも理解してもらおうとも思わないからです。
同じように、私の友人たちにも、理解してもらおうと思っていません。
それは絶望からではなく、彼らが私の友人でいてくれることと、理解してもらうこととは別問題だと思うから。
しかし、理解してもらえないからと言って、自分に素直に生きることを遠慮する必要なんて無いわけで、「これが私です」と胸を張ってしまえばいい。
たとえ数は少なくとも、わかってくれる人にわかってもらえれば、それでいい。
そんな出会いこそ、素晴らしいものだから。
とはいえ、こんな悟ったようなことを言いながら、ほんの少し前までは、人の意見に振り回されっぱなしだった上に、0か100か白か黒かという極端な思考をしてはひとり潰れていた私です。
今はありがたいことに、このポンコツな私をまるごと受け止め理解してくれる人に囲まれていますが、アダルトチルドレンでADHDという、人との適切な距離感を掴めないダブルパンチのハンディを背負い、長い間苦しんできました。
人を信用しすぎて利用されたり、勝手に期待しては裏切られたと落ち込んだり、依存して迷惑をかけてしまったり。
しかし、「人に過度に期待することをやめる」という対処法を得てからは、適切な距離感というものをようやく理解できるようになりました。
若さから来るカミソリのような鋭さと脆さを失う代わりに、この鈍感さを身につけられたのは、年齢を重ねて得られた良いことの一つなのかもしれません。
しかし、今何故こんなことを書いているかというと、私のブログを読んで連絡をくれた、周りに理解してもらえず一人で苦しんでいるある若い知人とやり取りをし、他人事と思えなかったためです。
彼女や以前の私と同じように悶々としている人に、この励ましが届いてくれることを願っています。
自分に正直に生きることと、
周りが理解してくれるかは別問題。
たとえ周りの誰もがわかってくれなかったとしても、この世界のどこかには理解してくれる人が確実にいる。
理解してもらえない人たちを説得し疲弊して絶望するよりも、
胸を張って、
わかってくれる人をワクワクしながら探しにいきましょ!
なぜなら、それとこれとは別問題だから。