幼馴染のピアニストの友人、中村麗さんについて [出会い]
先週末、私のアトリエにブラジルでの小学校時代からの友人、ピアニストの中村麗さんが遊びにきてくれました。
彼女は現在ドイツ在住で、名門レーベルにも属し、現代音楽の分野で大活躍しています。アトリエの中や近所を散歩しながら、ドイツの現代音楽の現状や人生について、影響を受けた本、建築やアートについてなど取り留めのない会話をしていたら時間はあっという間でした。
昔は世界一敷地が広いと言われるブラジルの日本人学校で赤土まみれになりながら一緒に走り回っていた仲ですが、こんな風に世界を股に活躍している彼女の姿は、友人としてもとても誇らしく、そしていつも刺激とエネルギーをもらえる大切な存在です。
近所を散歩中に見つけた大好きな建築家さん設計の家の前で
先月、そんな彼女が一時帰国してプライベートコンサートを開催したので、キリストダンナと行って参りました。私は現代音楽に明るくないのですが、ピアノの彼女とパーカッショニストのダンナさんがビブラフォンとで演奏した、現代音楽の演奏に大変な衝撃を受けました。
凄まじいスピードで単音がパズルのように複雑に組み合わされ、一音間違えたら全てが崩れるような曲で、聴いているこちらも一瞬たりとも気を抜けず冷や冷やしっ放しで、それはもうまさに格闘技を鑑賞している気分でした。ピアノもビブラフォンも、そんな使い方があるのか、というような楽器の限界を超えてゆくような演奏方法でした。
Grzegorz Mart at Warsaw Autumn
別のコンサート時の写真ですが、ステージ上の彼女は本当に格好いい!
このコンサートでは、美しいクラシカルな音楽も演奏され、純粋な現代音楽はこの曲だけだったのですが、この曲は理解できない、違和感がある、と思う人もいました。私もこれまで聞いたことがないタイプのこの曲を聞いて、正直脳内が疑問符だらけになりましたし、よい気分でうっとりとは全くなりませんでした。
でも、こういった違和感や難解さで心にゴリゴリとヤスリをかけてくれるようなものこそが、自分の狭い価値観を壊して新しい世界へ導いてくれることが多いものです。
歯ごたえのやさしいものは、現状の自分の範囲内で消化できるのですぐに忘れてしまいますが、こういったものはその時には全く理解できなくとも、1ヶ月後、半年後、果ては十年後に、「あれはこういうことだったのか!」と腑に落ちて、そのときの喜びと興奮といったら…!
Gregory Bonnefond at Festival Mixtur Barcelona
こちらも別のときのものですが、ドラマチック!
彼女と知り合って、気がつけば30年近く。彼女がずっと海外に住んでいることもあって連絡をとらなかった期間も長くあり、また以前は会っても小学校時代の延長の他愛のないお馬鹿な話ばかりだったのですが、一昨年彼女が一時帰国した際に、私が岐路に悩んでいたこともあり、初めて人生についてゆっくり語り合いました。
実はそれまで彼女がこうしてピアノを極めて海外で活動していたことをきちんと知らなかったのですが、彼女の音楽にかける情熱や生き方についての考え方を聞き、私の頭の中の霧を晴らすことができました。幼少期の無邪気な時代から長い時間を経て、お互いがそれぞれの道を歩み、時々はこうして真面目に語り合う。大人になるのもいいものだなあと、とても感慨深く思います。
ところで、ステージ上では、一分の隙もない厳しく激しく美しい麗ちゃんですが、一歩ステージを降りて私の方へ向かってきてくれると小学校時代に一瞬で逆戻り。
「キームーチー!(私の昔のアダ名です)来てくれてあーりーがーとーおー!!」とだいぶユルい感じで、一緒にコンサートに行ったキリストダンナが「あれはステージにいたのと本当に同じ人!?」と激しく動揺しておりました。
こんな姿を見られるのも、本当に嬉しいものです!
コンサート後の一枚。麗、ほ、細い!
中村麗ちゃんサイトhttp://www.reinakamura.de/
彼女は現在ドイツ在住で、名門レーベルにも属し、現代音楽の分野で大活躍しています。アトリエの中や近所を散歩しながら、ドイツの現代音楽の現状や人生について、影響を受けた本、建築やアートについてなど取り留めのない会話をしていたら時間はあっという間でした。
昔は世界一敷地が広いと言われるブラジルの日本人学校で赤土まみれになりながら一緒に走り回っていた仲ですが、こんな風に世界を股に活躍している彼女の姿は、友人としてもとても誇らしく、そしていつも刺激とエネルギーをもらえる大切な存在です。
近所を散歩中に見つけた大好きな建築家さん設計の家の前で
先月、そんな彼女が一時帰国してプライベートコンサートを開催したので、キリストダンナと行って参りました。私は現代音楽に明るくないのですが、ピアノの彼女とパーカッショニストのダンナさんがビブラフォンとで演奏した、現代音楽の演奏に大変な衝撃を受けました。
凄まじいスピードで単音がパズルのように複雑に組み合わされ、一音間違えたら全てが崩れるような曲で、聴いているこちらも一瞬たりとも気を抜けず冷や冷やしっ放しで、それはもうまさに格闘技を鑑賞している気分でした。ピアノもビブラフォンも、そんな使い方があるのか、というような楽器の限界を超えてゆくような演奏方法でした。
Grzegorz Mart at Warsaw Autumn
別のコンサート時の写真ですが、ステージ上の彼女は本当に格好いい!
このコンサートでは、美しいクラシカルな音楽も演奏され、純粋な現代音楽はこの曲だけだったのですが、この曲は理解できない、違和感がある、と思う人もいました。私もこれまで聞いたことがないタイプのこの曲を聞いて、正直脳内が疑問符だらけになりましたし、よい気分でうっとりとは全くなりませんでした。
でも、こういった違和感や難解さで心にゴリゴリとヤスリをかけてくれるようなものこそが、自分の狭い価値観を壊して新しい世界へ導いてくれることが多いものです。
歯ごたえのやさしいものは、現状の自分の範囲内で消化できるのですぐに忘れてしまいますが、こういったものはその時には全く理解できなくとも、1ヶ月後、半年後、果ては十年後に、「あれはこういうことだったのか!」と腑に落ちて、そのときの喜びと興奮といったら…!
Gregory Bonnefond at Festival Mixtur Barcelona
こちらも別のときのものですが、ドラマチック!
彼女と知り合って、気がつけば30年近く。彼女がずっと海外に住んでいることもあって連絡をとらなかった期間も長くあり、また以前は会っても小学校時代の延長の他愛のないお馬鹿な話ばかりだったのですが、一昨年彼女が一時帰国した際に、私が岐路に悩んでいたこともあり、初めて人生についてゆっくり語り合いました。
実はそれまで彼女がこうしてピアノを極めて海外で活動していたことをきちんと知らなかったのですが、彼女の音楽にかける情熱や生き方についての考え方を聞き、私の頭の中の霧を晴らすことができました。幼少期の無邪気な時代から長い時間を経て、お互いがそれぞれの道を歩み、時々はこうして真面目に語り合う。大人になるのもいいものだなあと、とても感慨深く思います。
ところで、ステージ上では、一分の隙もない厳しく激しく美しい麗ちゃんですが、一歩ステージを降りて私の方へ向かってきてくれると小学校時代に一瞬で逆戻り。
「キームーチー!(私の昔のアダ名です)来てくれてあーりーがーとーおー!!」とだいぶユルい感じで、一緒にコンサートに行ったキリストダンナが「あれはステージにいたのと本当に同じ人!?」と激しく動揺しておりました。
こんな姿を見られるのも、本当に嬉しいものです!
コンサート後の一枚。麗、ほ、細い!
中村麗ちゃんサイトhttp://www.reinakamura.de/
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